2009年10月17日 (土)

「粗にして野だが卑ではない」

城山三郎 【文春文庫】

このフレーズ、知ってはいたけど誰のセリフか知りませんでした。なんか三国志とかに出てくるのかと思ってた。ら、旧国鉄総裁の石田禮助氏の、国会初答弁時の自己紹介なんだそうです。

かっこいいわ~。「粗にして野だが」と一見へりくだってるようで全然くだってないし。「おれは山猿だから」と言いつつ自負心ゆるがないし。

言いたいことをぼんぼん言って豪腕をふるっても周りから一目おかれるのは、やっぱ卑ではないからなんでしょうね。

この人は戦前~戦後に物産の商社マンとして文字どおり世界をまたにかけて活躍した人で、そういう意味では財界人から初めて国鉄総裁に登用された人でもあります。

この時代はエリートが本物のエリートだから好きだわ。
本当に優秀な人が大学で学んで、政治でも経済でもそういう人たちがリーダーになって、国をよくしよう、世の中をよくしようという理想と使命感に燃えて働く。

混乱期だし、本当の意味での精鋭なのでやることありすぎて私利私欲に走るひまがないって感じで、何よりも、これは時代なんだろうけど、プライドがあるよね。ノーブレス・オブリージというのかしら。高等学問を受けて第一線で働いている者は高潔たるべし、みたいな気概があります。

同じ作者の「総会屋錦城」(新潮文庫)は短編集。
同様に、戦後の混乱期~高度経済成長期のビジネスマンたちの姿を描いていてカッコイイです。まあ表題作はビジネスマンじゃなくて総会屋だけど(笑)

つか総会屋ってなつかしい響きだな。今はどうなってるのかなあ。

ビジネスマンを描く社会小説というと山崎豊子ですが、確かに似た感じはあるけど、あれほど告発的じゃないというか。企業内の問題というよりは社会の問題を描いているので、もっとずっと読みやすいです。つか私が山崎豊子を読むとアドレナリンが過剰分泌されるだけかもしれないけどdash

とにかく、ブルーカラーでもホワイトカラーでも、まじめに働くオトコはかっこいいです。草食系男子とか言ってないで、みんなもっとガツガツ仕事するべきだよ!って私が言うな!

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2009年9月12日 (土)

「日の名残り」

カズオ・イシグロ/土屋政雄(訳) 【中公文庫】

これは何という萌え執事…(爆)
仕事一途の堅物で、主人のアメリカンジョークへの対応に頭を悩ませるって。
キレ者のジーヴスもいいけど、素朴なミスター・スティーブンスもいいわ~(*´∀`)

ということで、執事萌えの方には自信を持っておすすめしますdash

萌えは置いといても、これは非常に端正で上品な小説でございます。
ちょっと前に流行ってましたが、「品格」とはなんぞやということを見事に表していて、そういった概念というものは新書じゃなくてこういう小説からおのおの感じとってほしいよなあと思います。

そして、ここでは執事という職業においてのみ語られているものの、それはすべての働く人たち(特に勤め人ね)に共通する概念だということがわかります。
ということはつまり、すべての人間に問われ、求められるものだということ。
つまり、人間は品格を持って生きねばならないということです。

では品格とは何か。

作品の中では答えらしきものが導き出されていますが、いいなあと思ったのは、語り手であるミスター・スティーブンスが素朴な人であるために、彼の定義の仕方もなかなかに素朴なものであるところ。

彼は彼の仕事を通して見える世界しか知らず、ある意味とても近視眼的なんだけど、それでも本質はつかめている。

それほどの教育も見聞もない一介の労働者でも、真摯に物事を考え、常に何かを見出そうと努めていれば、たとえ一片に過ぎなくても真理にたどりつくことができる。

むしろそういう生き方に品格はおのずと表れてくるのだと思います。

そういう哲学的な思索にたゆたう一方で、読み物としても、名家に仕えた主人公を通しての「執事のお仕事」的な興味も満たされます。
なるほど執事って(というか使用人って)まさに屋敷しもべ妖精なのね~。

本物の執事は英国にしかいないということですが、いやこの感じは日本の武家社会にもあるぞ。あれでしょご家老的な人。ちょっと役割が違うけど。

そう考えると、日本で「執事」の人気が高いのは、人前で感情をあらわにしないことが美しい、という英国と共通の美学を持っているからなんだなと納得。

しかしミスター・スティーブンスは、いまどきなら「高機能自閉症」って言われますね絶対(笑)

でもそういう人たちに合ってる職業な気がするし、きっと実際にもいて「あれはいい執事」とか言われてうまくやっていけてたんだろうなと思います。
そういえばモンクさん(は強迫性障害だが)も執事は天職だって言ってたよね(笑)

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2009年8月16日 (日)

「死者に祈りを」

フェイ・ケラーマン/高橋恭美子(訳) 【創元推理文庫】

※ネタバレ注意!!

リナとデッカー刑事のシリーズもの。
前作は「なんじゃこのハーレクインロマンスはannoy」と心のちゃぶ台を引っくり返したわたくしですが、これを読んでちょっと納得。こっちが本命だったのね。
前作は頭の中にあるもので書きましたって感じだったけど、今作はちゃんといろいろ調べて書いてる感じ。

この人は家族を描くのがうまいですね。家族というか、家族という枠の中の群像劇というのかしら。
そういえばシリーズ5作目の「堕ちた預言者」でも、傲慢な女家長とその子供たちの歪んだ親子関係が印象的だったのを思い出しました。

今作の、厳格なプロテスタントで高名な医師である父親と、その妻子の愛憎渦巻く家族の肖像は、T・ウィリアムズの戯曲のよう。

事件としての柱は、新薬研究にまつわる製薬業界のドロドロと、現代アメリカのキリスト教宗派についてで、いろいろ興味深いです。

宗教の話はねー。こればっかりは、無宗教の日本人にはどうしてもピンと来ないところよねー。

そのせいか、いろんな背景やら愛憎劇やらはおもしろかったんだけど、肝心の殺人の動機が「ゲイだったから」というのは拍子抜けというか、どうにも弱く感じました。

あっちの人の同性愛に対する困惑や嫌悪の感情というのは、ちょっと計り知れないものがあります。
私個人としては別にかまわないというか、他人の性的嗜好なんてどうでもいいことなんですけど。「わたしイケメン好きなのheart」「オレはぽっちゃり好きかなheart」「あたしは同性好きheart」みたいな感じで。あっそう的な。

まあ問題はそういうことじゃなくて、宗教で禁じられているっていうところが決定的に違うんですけれども。で、そう言われると、もう返す言葉もない感じ。
日本人にとっての入れ墨みたいなもんなのかなあ。いくら外国の人にファッションだと言われても、どうも心情的に受け入れ難いってところが。ちょっと違うか。

あとはねー、作者のブームなのか、ここんとことっても繊細ないい人がつらい目に遭うパターンが続いてますよね。そのほうがドラマチックなのはわかるけど、かわいそうです(;_;)

そしてリナちゃんはいつの間にそんなにすごい美人な設定になっていたのかと(爆)
確かにきれいだきれいだとは言ってたけど、それはあくまでも夫目線だからだと思ってたよ。

しかも彼女のツルの一声で事件が解決しちゃったりして、ちょっと出来杉くんでは…? まぁ私はリナちゃん好きだから許すけどね!

ああ、そういう意味ではここんとこのメロドラマ仕立ても作者のブームでしょうか。だったら早く去れ(祈)

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2009年7月31日 (金)

「渚にて」

ネヴィル・シュート/井上勇(訳) 【創元SF文庫】

昔(1950年代)に書かれた「近未来小説」を現代に読むのは不思議な感じです。
当時としては未来のこととして書かれてるんだけど、今読むと古いのね。

中国とソ連が核戦争を行い、世界中が放射能に汚染されてしまう。
北半球を死滅させた死の灰はすべてを飲み込みながらゆっくり南へと下っていくという状況下、
地球の最南端にある大都市、オーストラリアのメルボルンでのお話です。

つまり言いかえれば、ただ座して死を待つしかない人たちの物語。

寄港したまま帰れなくなった米国原子力潜水艦とその艦長。
妻と幼い娘のいる若い航海士。
気ままに遊んで暮らしていた牧場主の娘。
仕事に打ち込んでいた独身の科学者。

すべての人に平等に、確実にその日はやってくる。

で、艦長と牧場主の娘のほのかなロマンスとか、夫として父として、娘の世話や家の手入れに追われる若い航海士とか、フツーの日常生活が淡々と描かれていって、何これどうなる話??

と思ってたら、滅亡したはずのサンフランシスコから謎の信号が送られてきて、ここから奇跡のどんでん返しが?!と思いきや、結局それもフェイク。

あとはもうほんとうに、淡々と淡々と、しかし確実に迫り来る「その日」を見つめ、それぞれに迎えるというだけの話でした。

もうね~泣いちゃうよそりゃ。しょうがないじゃん(T_T)

確かにSFとしてはいろいろ甘いところもあります。
死の灰が等速で均等に南下してくるというのはあり得ないし(同じ緯度の都市にはほぼ同じ時期に到達することになっている)、潜水艦から海上に伸ばした潜望鏡で街の様子があんなによく見えるってこともないだろうし。

でもいいのよ。これはそういう話じゃなくて、「そのとき、ひとはどうするのか」っていう話なのよ。

だいたい終末モノというと、人心荒廃し暴力と略奪が横行して、まさに世も末みたいな感じになるんですけど、ここに出てくる人たちはみんなすごく理性的。

頭ではもうすぐみんな死ぬってわかってるけど、家や畑の手入れをしたり赤ん坊の健康の心配をしたりする。
もちろん、終わりが近づくにつれて街の中心部はすさんだ感じになっていくような描写はあるんだけど、それを見て「あの辺は怖いからもう行きたくない」と言ったりする。

実際のところ、ほとんどの人はこういう感じなのかもしれないなあと思いました。
「絶対確実に、例外なく全員死ぬ」となったら、暴力も略奪ももう無意味というか。自暴自棄になってそっちに走る人もいるだろうけど、多くの人は自分のいつもの暮らしを続けていく。というか、いっそう自分に気持ちが向いていくのかもしれない。

いよいよ具合が悪くなってきても、やっぱり夕食の献立を考えたり、洗濯物をたたんだり、子供の世話をしたりする。ひとって結局そういうものなのかもしれないな、と思ったらすごく泣けました(T_T)

ある意味ファンタジーなんだろうけど、でも私もそういうふうでありたいわ。

ところでこの話、'59年にグレゴリー・ペック主演で映画化されてて、たまたま今日BSでやってたのを観たんですが、小説では国に妻子がいた艦長の設定がナシになってて、ふつうに牧場主の娘(エヴァ・ガードナー)とのラブロマンスになってました。

原作の、既に死んでいるであろう妻子のために艦長がおみやげを買う乾いた哀しさとか、それを理解してじっと彼への気持ちを抑える女の健気さはかなり良かったので、ちょっと惜しいかも。

でも、死を目前にしても人は恋をするんだという美しさと、それによる最後の幸せ度というか慰められ度はアップするので、それはそれでアリかもしれない。

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2008年1月12日 (土)

コブログスタート

さて、本読みにとって「人が読んでる本」というのは気になるもの。
また、自分と同じ本を読んだ人の感想というのはぜひ聞いてみたいもの。

というわけで、以前から一部より要望が多かった?読書感想ブログを始めることにしました。
わたくし昔から読んだ本の感想を手帳にメモっておく習慣がありまして(貧乏性?)とりあえず直近のぶんから遡って引き写していこうと思っています。

手帳のメモなのでほんとに一口感想であらすじの紹介とかもありません(ただしネタバレはしてる場合あり)
が、ひとの感想ってその本を知らなくても意外とおもしろいものなのでおひまな方はごらんください。

入り口は左下の「読書メモ」リストの下にあります。

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2007年11月16日 (金)

数学アタマ

で前回の続きですが(続くんかい)
すごいなーと思うのは数学者の頭の中。
「概念」を数式で定義するのが数学と言いましたが、彼らがとらえようとしている概念というのは超難解で抽象的なものです。

わたくし程度のレベルだと、数学といえば動かしようのない明快な答えを持つものという感じですが、高等数学の世界では逆に答えは抽象的になっていきます。

というか、意外と数学って抽象的なんですよね。
例えば∞って「無限にある」ってことでしょ。
それって目には見えないし、紙に書くこともできない。
お馴染みの√や0も同じで、便宜上記号であらわしているけれど、これは本当は具体的にかたちで示すことのできない概念なのです。

そういう、現実には描けないものを、数学者たちは頭の中でイメージしてあれこれとひねくり回すわけですよ。
イメージできないものをイメージするというのは、まさに想像を絶するというか、脳にとってものすごい負荷だと思うのです。

私なんて「宇宙の外側はどうなっているんだろう」とか考えると、それだけでなんだか目が眩むというか、深淵を覗き込むような何とも不安な気持ちになってしまうんですが。

なので、そういうことをずっと考えていられる数学者の想像力や集中力ってものすごいなと思います。
同時に、そりゃ「違う惑星に住んでいる」とか言われるのも道理だなと。むしろそれぐらいでなきゃムリ。歴史上の数学者が往々にして哲学者でもあることにも納得です。

8年かけてフェルマーの最終定理を証明したワイルズ博士は、全精力を傾けてきたテーマを失ってしまったことに対する複雑な気持ちを語っています。

そういえば先ごろNスペでも、同じく世紀の難問「ポアンカレ予想」を解いたロシアの数学者がすべての栄誉を捨てて謎の隠遁生活に入ってしまったという番組をやっていました。
それは極端な例としても、彼らにとって問題を解いてしまうということは同時に住み慣れた惑星(!)から出て行かなければならないということでもあり、そこには私たちには想像もつかないような喪失感があるんでしょうね。

なにかこう、栄光と悲哀があります。天才数学者。

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2007年11月14日 (水)

「フェルマーの最終定理」

小学生のころから算数は苦手で、受験期には問題集を前にマジ泣きしたこともあるわたくしですが、大人になって「ホーキング、宇宙を語る」を読んで以来、数学的なおはなしが好きになりました。

もうねー、外国どころか別の惑星の話みたいなもんですからね。私にとっては一種のファンタジーですよええ。

数学界最大の超難問、フェルマーの最終定理。
数学者たちの300年にわたる挑戦の歴史と、ついにひとりの天才数学者がその証明に成功するまでのドラマを描いたドキュメンタリー。

数学者って登山家に似てますね。
解くべき問題(山)が厳然とあって、最初の登頂者となることを夢見る者たちが挑戦と敗退の歴史を重ねていく。
その問題を解いても(登頂を果たしても)別にみんなの生活が便利になるとかいうわけでもないあたりも似てます。数学の問題を解くことは山に登ることと同じ。ロマンなのですよ。

そして超高度な数学というのは意外と漠然としているというか、高みへ昇れば昇るほど抽象的な話になってくるんだなあと。矛盾するようですけど。

たとえば位相幾何学という分野では、簡単にいうと穴の数でものの形を定義するんだそうで、そこではドーナツとコーヒーカップは同じ形とみなされるとか。
もちろんドーナツとコーヒーカップのレベルなんかじゃなくて、もっと超難解な数学世界で使われる概念なんですが。

そう、この「概念」という言葉がそもそも漠然としてますよね。
でも数学というのはつまり「概念」を数式であらわそうとする試みなんだと私は理解するのです。

この本の中にも幾つか数学界の難問が紹介されているのですが、それを私たちの言葉?でいうと、例えば「オレンジの山をもっとも効率的に積み上げるにはどうすればいいか?」とか「隣り合う州の色が同じにならないように地図を塗り分けるには最低何色あればよいか?」とかいうことなんだそうです。

こんななぞなぞみたいな問題を、数式を使って厳密かつ論理的にあらわそうとするのが数学なんだなと。
そう考えると、ふだんの生活の中での「混まない電車に乗るためにはどうすればいいか?」みたいなことも、情報を集めて論理的に考えて答えを出せば一種の数学であって、よく数学者には世界が数式で見えているとかいうけれど、それってこういうことなのかなあと思います。

モヤモヤした「概念」や「現象」をきっちりとした数式であらわせれば、その概念や現象はもう不安定なものではなくなって、つねに同じ数式で表現することができるようになる。
その簡潔さが数学的美しさということなのでしょうか。

あーなんか頭がこんがらがってきたけど。。

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2007年8月22日 (水)

マンガの会から

あまりにも暑くて頭がまとまらない日々です。
そうだこういうときにはマンガを読もう!

「少女ファイト」①②/日本橋ヨヲコ(講談社)
衝撃作「G戦場ヘヴンズドア」の日本橋ヨヲコが描くバレーボールまんが・・・というか、たしかに主人公はバレーボールをやってるけれど、スポーツものというよりはものすごく人間モノです。
画も設定もかなりデフォルメされていてある意味すごくマンガっぽいんですが、なんかこう、人間がリアルなんですよね。
例によってキャラがみんなものすっごく深刻で(笑)グイグイ物語に引き込まれます。アツイわ~。やっぱスゴイわこの人。燃えるぜ!

「勇午」/(作)真刈信二(画)赤名修(講談社)
主人公が「デスノート」のライトに見えてわたくし的に時々オモシロくなっちゃうんだけど、原作つきだけあってストーリーのしっかりしたごついハードボイルド。小説並みに読みごたえあります。
そしてときどき画がコワイです。迫力すぎて。
大人マンガはリアルが売りですが、リアルすぎると大ゴマが怖いのよ。。
単行本だから踏みとどまるけど、これ雑誌で読んでたらページめくったときのけぞるわ。

「ダイヤのA」①~⑥/寺嶋裕二(講談社)
少年マガジン連載らしく元気いっぱいな野球マンガで、女子に人気というのもうなずけます。
が、キャラの外見がみんな「スラムダンク」に似てて気になるよ!懐かしいよ!
・・・と思ったのですが、考えてみれば「スラムダンク」ももう10年以上昔のマンガ。今活躍する若いマンガ家さんたちが影響受けてるのも当然といえば当然なのかも。。
この話に限らず、最近の(特に若い子向けの)マンガはどれもどこかで読んだような&どこかで見たキャラのような気がしちゃうのは、大人のマンガ読みの宿命というものね。。

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2007年8月 9日 (木)

「ダイノトピア」

数年前、図書館の児童書コーナーで見つけた大型絵本「ダイノトピア」。(ジェームス・ガーニー著/フレーベル館)

嵐の海で遭難した父子が流れ着いたのは人間と恐竜が共存する不思議な世界だった・・・というお話で、豊かで平和な恐竜王国の様子が旅行記風につづられています。

写実的で美しい挿絵にひかれて手にとってみると(大型だから重いんだけど)恐竜たちがすごくリアルでかわいいし、異世界の暮らしや道具の仕組みが(旅行記録だから)くわしく描かれているのがおもしろくて、いい本読んだーいつか買おう!と心の付箋にメモってあったのですが。

実は2002年にアメリカでテレビ映画化されていたらしい。
NTV深夜の「月曜映画」枠で、全3回のシリーズを放送していました。

原作では流されたのはお父さんと幼い息子だったんだけど、映画版ではハイティーンの美形兄弟になってたり(ちなみに兄役はプリズン・ブレイクのウェントワース・ミラー)、素朴で淡々とした旅行記だったのがジュラシック・パークばりにTレックスやプテラノドンに襲われたり、王国を救うため秘宝探しにでかけたりと独自の設定や展開もかなりあり。

というかストーリーはほとんどオリジナルなんですが、基本的な世界観やどこかエキゾチックで壮大な風景は絵本のとおり。

あらためてCGってスゴイなと思うわけですが、さらにあらためて、あの絵本スゴイなと感心したのでした。やっぱいつか買おう。

恐竜好きな方はぜひ図書館で探してみてください。おすすめします。
(映画のほうはW・ミラー好きな方におすすめ。まだ細くてかわいいぞ。)

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2007年6月11日 (月)

「解放の日」

いわゆる作家買いをしないわたくしが唯一中身を確認せずに新刊を購入するアンディ・マクナブの新作が出てました。2年ぶりです。というか向こうではもっと出てるんだけど邦訳がついてきてないらしい。ああ英語が自由に読めたなら~。

今作も目が痛くなるほどぶっ続けで読んでしまいました。大満足です。
わたくしホントにこのシリーズを偏愛しておりますの。

いちおうスパイものになるのかしら。
作者のA.マクナブは元SASで、湾岸戦争では秘密作戦に参加してた人なので、とにかく諜報技術に関する超絶ディテール描写がウリです。
情報の受け渡しの方法や尾行・見張り・拉致・狙撃といった工作活動がまるで実況報告のようにこと細かく描き込まれていてすごくリアル。
同時にここがハードルというか、マニアな人には絶賛され、そうじゃない人にはうんざりされるあたりかとも思うのですが。

ひと昔前の諜報活動というと冷戦下での情報スパイで、政府高官のオフィスに忍び込んで機密書類を盗んだりしてたわけですが(知らないけど)
現代の欧米情報機関の敵はいわずと知れた中東テロリスト。
実体のない相手に対する諜報活動はほとんどテロ行為と変わらない過酷さです。

しかも主人公のニック・ストーンは末端の一工作員に過ぎず、さらにいろいろわけがあって組織に汚れ仕事を押しつけられる使い捨て要員の立場。もちろん作戦の全貌など知らされず、ただ言われた任務をやり遂げるしかない。

もうねー、つねに必死なんです。主人公が。
つねに必死で真剣で、あらゆる可能性を想定して綿密に準備をするのに、いつもその範囲外で緊急事態が発生してしまう。
まあそれは小説のお約束としても、彼はその後がスゴイんです。
持ち前の機転をきかせ、おみやげつきで鮮やかに危機を脱出する・・・ことがまったくない(笑)
いったん緊急事態が起こったら、あとは死に物狂いでとにかく逃げるのみ。

でもある意味それがリアルだよなと思うと同時に、これがいわば究極のサバイバル行動。
このシリーズを読んでると、ぎりぎりのところで生き残れるかどうかというのはどれだけたくさんやれるかではなくて、むしろやってはいけないことを絶対にやらないことのほうが大事なんだという気がします。実践の機会はないと思いますけど。

そしてこのニック、必死なのにいつも平熱。冷静というより平熱。
それが妙に虚無的というか人として何かが欠落してる感じがして、これもまた特殊工作員の現実なのかなとちょっと感じます。
この感じって(これもまた私が偏愛する)登山家になんとなく通じるものがあるんですよね~。
人間ってあまりにも身近に死を見続けてるとこういう感じになるのかなーなんてちょっと思ったり。

あーおもしろかったな!早く次出ないかな!

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2007年5月 3日 (木)

「LAコンフィデンシャル」

J.エルロイの「L.Aコンフィデンシャル」を読んで、すごくおもしろかったのですが話が複雑な上とにかく登場人物が多くて、かなり混乱しつつエンディングを迎えました。

もう一歩スッキリしなかったので、そうだ映画があったはず!とさっそくツタヤに行ってきました。ビデオしかなかったよ!そうかもう10年前の作品か~。

見てみると、小説では3人ぐらいが別々に担ってた役割を1人に集約してるし、根底を流れる過去の猟奇事件も省略、主要人物の背景や人間関係もかなりカット。長大な話と人物がすっかりコンパクトにまとめられて、たいへんわかりやすくなってました。
でもこれだけ観た人は、それはそれでまたよく意味がわからないんじゃないかなーと思ったり。
小説と映画が互いに補い合ってるというか、両方見てちょうどイイ感じ。

私は意外と原作至上主義ではなくて、映画でもドラマでも出来がよければ原作は読まなくてもいい派です。
わかってる話を読み返すのめんどくさいし、映像のほうが絶対的に情報量が多いから、後から文章を読んでも想像の余地が狭まっててあんまりおもしろくない。

たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」なんかがそうで、映画を見た後、物語のほうもちょっと読んでみたけど「映画のとおり」だとわかって途中で挫折しちゃった。
逆に「ハリーポッターと賢者の石」は先に本を読んでて、映画を観たら忠実に「本のとおり」でがっかり。(でも原作がだんだん長大化してくるにつれて映画化の意味が出てきた気がする)

ファンタジーが「本のとおり」というのもすごいなあとは思うんだけど。
でも原作がよく描けていればいるほど読み手のイメージも明確かつ共通してるはずだから、それをただ「こんな感じですよね」と見せてもらうだけじゃもの足りないし意味がない。

その点では「ダヴィンチ・コード」なんかはすごく映画向けの話でしたね。百聞は一見に如かずじゃないけど、本を読んでいても100の説明より1枚の画が見たいと思いました。
とはいえ、あれも映画だけ見たらきっと原作読まないと意味がわからんと思うんでしょうね。

あと、登場人物のイメージというのはほんとに読み手によって百人百様で、しかもかなり大事なところだと思うのですが、「LAコンフィデンシャル」の場合はすごく合っててよかったです。話の中心になる3人とも合ってましたが、特にバド役のラッセル・クロウね!秀逸!
原作では人物の外見についての描写はほとんどないにもかかわらず、私のイメージするバドにすごくハマってた。こういうのって不思議だなあ。

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2007年4月 9日 (月)

あのひとはだれ

先日、宝塚宙組の東京特別公演「A/L」を観ました。
副題が「怪盗ルパンの青春」ということで、アルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズが出てきたりしてなかなか楽しいお芝居でした。
えータカラヅカでルパン?ホームズ?とお思いかもしれませんが、そこは華やかで夢々しい宝塚テイストを盛り込み&脚色することでなんとかなるものなんです、ええ。

で、姉とあれこれ話していて気づいたのが、私って意外とぜんぜん怪盗ルパンの物語を覚えてないということ。あらー?

そして我ながら笑っちゃったのが、私が「奇巌城」のエピソードとして記憶していたことがかなりの部分「カリオストロの城」に塗り替えられていたこと。ルパン三世おそるべし。

しかしそうなってくると、自分の中の怪盗ルパン像がにわかにあやふやなものに。
私がアルセーヌ・ルパンだと思っているあの人は本当にルパンなのか?
実は三世だったり怪人二十面相だったりタキシード仮面さまだったりしてないか?と気になります。まさに謎の怪盗紳士。。

明智小五郎シリーズとシャーロック・ホームズ全集はけっこう覚えてるんですけどね。特にホームズは大人になってからBBCのドラマにハマッたので大人向けのも読んだし。子供向けのイメージよりずっとホームズがエキセントリックでかっこいいんですよね~

でも大人向けのルパンは訳がしっくりこなくて読まなかったんでした。出版社は忘れちゃったけど。
だってルパンが自分のことを「わし」とか言うんですもの。とっつぁんか!

あーでも今思うと、もしかしたらその時点でもう記憶違いなのかも。
ルパンの一人称は「わたし」だと思ってたけど・・・違うのか??

南洋一郎先生のルパン全集(ポプラ社)、図書館で借りてこようかな・・・

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2006年12月 8日 (金)

読書感想文

たまには読んだ本の話でも。
・・・と思ったのですが、じつは読書感想文が苦手です。
小学生のころから、作文は好きだったけど感想文は苦手でした。
今でもどうもうまく書けなくて、読んだ本や観た映画について上手にまとめているブログとかを読むと、いいなあと思います。

まず粗筋の紹介が難関。
1冊の小説、1編の映画のストーリーを簡潔かつ的確にまとめるというのがどうも難しいのです。
導入のはずがこれですんごく文字数を食ってしまい、しかもうまくまとめきれてなかったりして、たいがいここで嫌になって挫折してしまう。

じゃあもう粗筋はとばして感想だけ述べてみてはとも考えますが、話の内容も知らない人に突然、この作品について私はああ思うこう思うと力説してもご迷惑ではないかしらと不安になってしまいます。(←姉には遠慮なくやるんだけど)

そして何より、最近気がついたんですが、わたくし、作品そのものに対する感想というものが意外とないんですよ。
「おもしろかった」「おもしろくなかった」に毛が生えた程度のひとくち感想ぐらいしか出てこない。

たとえば小説を1つ読み終わると、私の中にほわっとした丸い雲みたいなものが生まれる。
中にはその小説に喚起されたいろんな連想が入っている。
いつか見た絵画や映画や舞台の一場面とか別の小説とかマンガとか個人的な思い出とかイメージとか、「あのときのあれ」とははっきり示せない断片的なものばかり。
そういうものが、読んだものと混ぜ合わさって綿菓子みたいにふわふわ渦を巻いてぽわんと浮かんでいる。
それは確かにその小説に関連するものなんだけど、なにしろほわっとしていて実体がない。
とてもじゃないけれど、適度な文字数できちんと文章にまとめることなんてできないのです。

・・・というこのカンジが、川上弘美さんの「センセイの鞄」を読んでいたらすごく的確に表現されているように思えた箇所があって、おおーと思いました。


と、だから私の読書感想文ってこんなふうになっちゃうんですよ。ね。

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2006年4月 9日 (日)

「模倣犯」

宮部みゆき「模倣犯」(新潮文庫全5巻)を読みました。
まあイヤな話でねー。。読みながらムカムカしっぱなしよ!

そうは言いつつもほぼ一気読みではあったんですが、
1冊読み終えるごとに、もうムカつくので次の巻は読みたくないけど続きを知りたいという葛藤で、テレビつけたまま読んだ巻もありました。あんまり話に入り込みたくなくて。何やってんだ。

宮部みゆきは「火車」っきり読んでなかったんですが、やっぱ力あるなあと思いました。
これだけ不快な話をとりあえず全部読ませるんだからな。
さらに言うと、この人の文章ってなんか垢抜けないというかガサツな感じがして、それがこのイヤンな話によく合ってて、いっそう不快効果を上げているように思われます。いえほめてますよ。

そうなのよ文章がね。だから1作しか読んでなかったんでした。
「火車」は、話はおもしろいけど文章がスカスカだなと思ったのよね。
さすがに今はスカスカじゃなくなってますけど、
やっぱり私はもうちょっと細やかな文章が好きだ。

これはもう巧拙じゃなくて、単に好みの問題ですね。

せっかくストーリーに入り込んでるときに、読みごこちのよくない単語とか言い回しとかがあると気になっちゃう。ここでそういう言い方はしないでしょ、とかツッコミ入れて、一瞬集中が切れます。

まあ単語や言い回しだけのことじゃないんですけど。
もっと全体の印象というか・・・なんだろう。音楽の好き嫌いと似たようなものなのかな。
はっきり言えないけど、でもわたくし文章の好みにはちょっとウルサイんですの。

こないだ初めて読んで意外とよかったのが東野圭吾「白夜行」(集英社文庫)。
もっとベタな話を書く人かと思ってたんですが、(あらすじだけ聞くとどれもベタな感じなのよ)
全然違った。文章もクールでかっこよかったです。

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