2011年3月24日 (木)

「運命の人」

山崎豊子 【文春文庫】

文庫全4巻のうち、前半3巻は沖縄変換に絡む外務省機密漏洩事件が題材で、残り1巻は沖縄の戦争と基地の歴史について。というところ。

御年80を越えて、なおこれだけの取材力はほんとにすごいと思います。
ただフィクションの部分は若干弱めで、取材に基づく事実を小説として構築しなおす想像力というか力強さはさすがに衰えてらしたのかしらって感じ。

主人公である剛腕新聞記者の不遜さとか、外務省高官たちの厚顔ぶりとか、私欲に走る政治家たちの黒さとか、女秘書のしたたかさとかその夫の陰湿さとか、

昔の山崎先生だったらもっとねっちりじっとり書き込んでらしたと思うの。
そんで読むほうもぐぎぎぎ…と歯ぎしりして、くそうこの世はなんて不条理なんだ…!といてもたってもいられない義憤に駆られたと思うの。

今作はその辺がわりとあっさりで、やっぱ先生もお歳を召して、そういうところをねちねち書き込む執念と気力はもうないのかなと。

まあおかげさまであんまり苦しまずに読めましたけれども(笑)
読む前は、あーこれを読んだら反米感情がいや増すんだろうな(基地問題的な意味で)と早くも重い気持ちになってた私は「大地の子」で反中、「二つの祖国」で反米に燃え上がった素直な読者(´_ゝ`)

前半の外務省の機密漏洩事件の部分は、新聞記者に政治家に官僚に裁判と山崎節が冴えを見せる場面も多かったけど、4巻の沖縄編なんてほとんど取材ノートで、前3巻までとの小説的つながりはどうしちゃいましたかみたいな。

まあでも、山崎先生はこれを書いておきたかったんだなということはよくわかります。資料としても読みごたえは十分あるし、言い方を変えれば、小説としてきれいにオチがつけられていないぶん、読者がそれぞれこの問題について考えることを求められる形になっているともいえる。

実際、今の時期にこれを読んで、いろいろ考えるところはありました。

沖縄の基地問題と原発問題は似ていると思うの。どっちも政府は大丈夫、問題ないと説得し、当該県以外の国民は「ないほうがいいよね」と反対運動には賛同しているようでいて、実際にはほぼ無関心。

そして、じゃあ現実問題としてそれなしでやれるのかとなると、いろいろな立場や利害や思惑が交錯して単純にはいかず、結局は不安や問題を抱えつつもずるずる続けていくしかない。

でも、簡単には結論が出ない問題だからこそみんなで考え続けないといけないって、サンデル教授も言ってたよね!

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2010年12月18日 (土)

「Number」

12/9発売の「Number」768号は、外国人監督が語る日本サッカー論ってことで「ニッポン再考。」がテーマ。

ピクシーとザッケローニ監督が表紙を飾り、みんな大好きなオシム監督をはじめオリベイラ、クルピ、ネルシーニョ、シャムスカ…とJチームを率いた外国人監督はもちろん、スポーツ各界の歴代外国人指導者たちのインタビューやエピソード満載。

電車の中吊りで広告を見て、なんという私のための特集…これは買わなきゃと思いつつ、2週間もたってやっと手に入れました。

そしたらもう1つの特集が「ラグビー冬の陣」で、早稲田と明治を取り上げてたのね。

私ことしの早明戦は例のパソコンクラッシュ騒動で行けなかったので、あーあと思いながらページを開いたんだけど、早稲田と明治、それぞれ4ページずつの特集のうち、明治のほうの記事が「渋谷淳=文」となってるじゃないですか。

この人わたしの友達なんです!!!

ええーと思ってすぐ「ちょっと!ナンバーに書いてるんじゃん!」とメールすると、ちゃんとしたのが掲載されたのは初めてだという。いや知ってるわそんなん。

彼はずっとフリーでやってて、昨年末に初めて「慶応ラグビー 魂の復活」という本を講談社から出しています。

彼の名前が書かれた本を本屋さんで見たときにもすごーいと思ったけど、やっぱスポーツ好きとしては「Number」に記事が載るっていうのはまた格別よねスポーツマガジンとしてはやっぱこう、頂点じゃん。いつかは「Number」に…みたいな。

だって「Number」だよ!!

そして外国人監督特集とかいう、決して定期購読者ではない私がまず間違いなく買いを入れる号に載ってるあたり(しかも明治ネタで)、さすが友達だな~と妙なところで感心したのでした。この号じゃなかったら気づかなかったよ。つか教えろよ。

というわけで祝杯だ~!
私もがんばらなくちゃな!

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2010年8月18日 (水)

「若者はみな悲しい」

F.S.フィッツジェラルド/小川高義(訳) (光文社古典新訳文庫)

わたしは海外の古典文学はときどき新訳で出し直したらいいと思う派です。
言葉は変化するから、当時はまだ日本語ではなじみがなかった言葉とか概念とかも、年月がたつうちにこなれてくることだってあるじゃん?
特に古典文学はそういうことってあると思うの。

なので、数年前に光文社が古典新訳文庫を出すと聞いたときにはかなり興味をひかれて、本屋さんで新刊を見れば手にとってチェックし、何冊かは購入もしたんだけど。だけど。

なんかこう、しっくりこないのよね~。。

このフィッツジェラルドの短編集「若者はみな悲しい」は、旧訳では「すべて悲しき若者たち」の邦題で知られていた作品。

原題は「All The Sad Young Men」で、そのまま訳せば「すべての悲しい若者たち」なので、この新タイトルからしてなかなか意欲的というか、インパクトがあると思います。

で、活字も大きいし(それは内容とは関係ないけど)、言葉も平易だし、文節も短く切ってあって、確かに読みやすいのよ。

この文庫のキャッチコピーが「いま、息をしている言葉で」ということで、誰にでも気軽に古典文学を読んでほしいという趣旨からすれば、まあ確かにいいのかな…と思うんだけど。だけど。

フィッツジェラルドってこういう感じだったっけ??

という、読み終わってのこの感じ。
実は私、この文庫の作品を読むといつもこの感じを受けるのよ。
それで結局、図書館に行って昔の新潮文庫とか岩波文庫とかで読み直しちゃうのよ。

なんていうか、全体的に言葉の選び方が雑というか。
こっちに古い文章で読んだイメージがあるせいなのかもしれないんだけど、古典文学の格調高さみたいなものがあんまり感じられないのよね。。

確かに、今どきの言葉でわかりやすく、というのも大事だけどさー。
不朽の名作っていうのは文体や言葉の使い方も含めて名作なわけじゃん?ただストーリーが追えればよしってもんでもないと思うの。

訳がどうというより、日本語として美しくないというか。
平易で読みやすいんだけど、読んでてどうも気持ちよくないのよ。

どこがというのは難しいんだけど、例えば言葉の選び方が甘いと思うのは、

「シルバーフォックスをまとった美人」

みたいな一文。
これが例えば旧訳だと

「銀狐の毛皮にくるまれた美人」

という感じになってて、どうよこれ。どっちが美人な感じする?

「シルバーフォックス」でもいいよ。みんなわかるよ。片仮名かっこいいよ。
だけどここは、特に活字で見るときには「銀狐」のほうが雰囲気よくない?字面からして「銀」とか入っててキレイじゃん。漢字の持つイメージ喚起力は大きいんだよ。

同様に、以前読んだ「恐るべき子供たち」だったかでも、

「大きな接吻の音を立てて蓮の花が開くように」

とかいうとても詩的で美しい一文が、

「派手なキスの音を立てて蓮の花が開くように」

みたいになってて(←文章はいずれも本が手元にないのでうろ覚えですが)、ええー!なんか台無し!って思ったんだったのよ。
そこはやはり「接吻」の音のほうが、奥ゆかしさとともにそこはかとない淫靡さが感じられてよろしいのでは。

つまり、もう少し日本語に気を使ってほしいです
今の言葉で訳すとはいっても、もともとが昔の話なんだからさー。もうちょっとこう、雰囲気づくりというか。時代劇には時代劇の言葉づかいがあるみたいな?

あと、文章を短く切ってるのもほんとは地味に気になるのよ。
たぶん原文は英語によくあるthatでつないでつけ足していく形だと思うんだけど&確かにあれは読みにくいけど、例えば

「彼女はにやりと笑うと、ハンドバッグを開けて煙草を取り出し、一本くわえて火をつけてから、わざと脚を組みなおしてその優雅な仕草を彼に見せつけた」

的な文章が

「彼女はにやりと笑い、ハンドバッグから取り出した煙草をくわえて火をつけた。それから彼に見せつけるように優雅に脚を組みなおした」

みたいになってると、
いったい原文はどんなふうなんだろうかと思わずにいられません。

というか、おそらく前者(旧訳)のほうが原文には忠実なんだろうけど、でも確かに後者(新訳)のほうが読みやすい…
あれ?翻訳するってどういうこと??と改めて考えこんでしまう。

この文庫は例の「カラマーゾフの兄弟」の大売れで脚光を浴びたけど、なんかどうも…読むならやっぱ旧訳で読みたいかなと思っています。(←じつは読んだことがない)

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2010年5月 8日 (土)

「太陽を曳く馬」

髙村薫(新潮社)

むむずかしかった…ハアハア
ちょっともう、途中から頭の後ろに白い光が見えて解脱しそうになったわ…

「晴子情歌」「新リア王」からつながる作品で、登場人物もいちおうカブってるけれど、作品自体のテーマは言葉にならないもの。…かな(爆)

前半はいわゆる不条理殺人事件、後半は僧侶の交通事故死事件と、筋立てとしてはミステリーになってて、おなじみの合田刑事も出てきます。

なので前作「新リア王」よりは読みやすかったような気がする。
哲学パートの後に世俗パートが入ってきて、そこである程度現実的な言葉で解説が入るので、それに助けられます。所詮わたしは世俗者だよ(笑)

「太陽がまぶしかったから」人を殺したのはカミュの「異邦人」だけど、福澤秋道は「声を消したかったから」相手の頭をゲンノウで殴るわけ。

もともと人格障害もあって、取調べや法廷での発言は一見デンパ系で、まじめに読んでると頭がくらくらしてきます。
ついでに、画家である犯人をとりまく胡散臭い自称アーティストたちによるきらびやかで饒舌な芸術論もふんだんに聞かされて、このへんはちょっとしたアングラ舞台劇のよう。

言葉で飾り立てられて初めて「アート」になる現代芸術やポップカルチャー。
けれどそれをつくり出す者は、言葉では言い表せない創作の世界、超自我の境地で己と己の作品と向かい合う。

そういう、現実を超えた世界で犯された殺人の動機は、即物的な「法廷」ではどうにも説明することができない。

確かに、延々と繰り広げられた観念的なやりとりの後に出された判決文は、本来説明できないものを無理やり現実世界の概念に置きかえたような陳腐さに愕然とします。

でも実際こんなふうなのかなとも思ったり。
現実世界のいわゆる不条理殺人も、ニュースで伝えられるのはわかりやすく置きかえられた形骸みたいなもので、実際の犯人の証言とかはもっとずっとナンセンスで理解しがたいものなのかもなあ。。だからこそ不条理なわけだし。
そう考えると、ああいう事件を起こす人たちと一般人とのあいだには絶望的な断絶があるよ。。

さて、後半の僧侶の交通事故死事件になると、もうほとんど宗教哲学書(@_@)

まあいろいろあるんだけど、オウム真理教を伝統仏教とひとつひとつ対比させる形で「オウムとは何だったのか」を解明しようとしてるあたりはかなりおもしろかった
…といえるほど理解できてないんですけど(爆)

そういえば村上春樹の「1Q84」もオウムを扱ってるとか。
いま、文学の世界では改めてあれを考察する時期にあるんですかね。(あと酒鬼薔薇ね)

あのう、でも、難しいんだけど、何かとてもおもしろいことが書かれているんだなということは一応わかるのよ。
だから途中でもうだめー(>_<)と投げ出すことはなくて、わからないなりにどんどん読み進んでしまう。

よく思うんだけど、だからやっぱ仏教の教義って宇宙物理学と似てるよね(笑)
あれも、ほとんど理解できてないんだけどすごくおもしろいことのニオイがするのよ。
学ぶにつれてどんどん哲学的になっていって、最後は無限の深淵をのぞきこむような不安に足がすくむところも同じです。わたし的には。

この、難しいんだけどすごく惹かれる感じはエーコの「薔薇の名前」にも通じます。
あと事件として何が動機だったのかとか、結局全貌がはっきりわからないで終わるのは京極夏彦の「鉄鼠の檻」を思い出しました。(←イヤわからなかったのは私だけかもしれないけど。。)

そういう意味では、この物語の世界に入っていくというよりは、この本を読むことで自分自身の中を旅するような作品といいましょうか。

ちょうどここのところ「ハーバード白熱教室」で哲学の授業を受けてるので(笑)、自己所有権とか自然権とかいう言葉も頭のうしろをチラチラしたり。

まあそれでも、赤坂アークヒルズのとなりに巨大な禅寺があって、あの桜坂を編笠姿の托鉢僧たちが列をなして整然とおりていく…なんていうお耽美な、いえ幻想的な設定はさすが髙村女史って感じです。
若い女子たちの追っかけがつく、なんていうのもいかにもありそう(笑)

とにかく、ゴールデンウィークは特にどこにも行かなかったけど、これを読んだらものすごく深く遠くに行ったような気になりました(爆)
本ってほんとに不思議!

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2010年4月24日 (土)

ただいま読書中

テレビにも飽きたので本を読んでいます。

しばらくなんにも読んでなかったので、読書感覚を取り戻そうとまずは「不夜城」(馳星周/角川文庫)でかるくウォームアップ。

やー「新宿鮫」みたいなやつかと思っててさー、まあそのうち読もうとか思っててほうってあったんだけど全然ちがったわ。いや全然でもないけどだいぶ思ってたのとは違ったわ。すいませんでした。おもしろかったです!

空虚で孤独な主人公も好みだし、ラストの小蓮との生死を賭けた泥仕合にはゾクゾクしたわ~。

全体的に文章が外文だよね。地の文の言い回しとか(一人称だけど)、台詞回しも、実際の日本人はこんなふうに言わないよねみたいな。まあ登場人物はほとんどが中国人だからいいのか。

そしてそういう外文調の文章が、新宿だけど中国、的な異世界感をさらに増しててよかった気がします。

ちなみに作者はJ.エルロイ好きなんですって。そりゃ私と趣味が合うはずだわ(´∀`)

*****

あったまったところで続いて「偽装殲滅」(クリス・ライアン/早川書房)
A.マクナブの新刊がさっぱり出ない現在、大事に読んでいる特殊工作員シリーズです(笑)

前回の事件でPTSDになったと思しきガールフレンドと息子をあっさりあきらめて楽しい訓練生活♪に入ってたのにはエエーって感じだったけど、まあぶっちゃけそんなもんなのかも…

アメリカのニュースとかでも海外派兵軍人の家族愛情エピソードみたいのをよく取り上げてて、兵隊さんを支えるのは家族の愛、ってやってるけど、それは確かにそのとおりなんだろうと思うけど、逆に家族のほうに何かトラブルが発生した場合は、軍人側にそれを支える余力は正直まったくないだろうなと。

愛情はあるし心配だけどとにかくどうにもできないから別れよう、っていうのが、まあ結局は理性的な解決ってことになるんだろうな~しかもこの人たちSASで、この仕事が好きでたまらない人たちだもんな~

なんてよけいな心配?をしましたが(笑)
おかげでストーリーのほうは仕事に専念してくれて、読む側としては大満足です☆

*****

これでアップ完了で、満を持して現在「太陽を曳く馬」(髙村薫/新潮社)に取り組んでおります。ちょう難しい~(>_<)

それにしても改めて、読書生活とネット生活はまったく両立しませんな。
本を読み始めるとネットやる時間が全然ないわ。今日PCあけたの4日ぶりだよ。

逆に言うといかにネットが私の時間を食っているか。。
もちろんネットの時間もまったく無駄ってわけじゃないんですけど。でもネットはあくまでも情報収集であって、たとえ同じ数の活字をこなしていたとしても、本つまり作品を読むのとは全然べつなんだよね。

PCを閉じよ、本を読もう。

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2010年1月16日 (土)

ファンタジー3本

「ハリー・ポッターと死の秘宝」(J.K.ローリング/静山社)はすばらしい出来
これまで出てきたすべての人物、すべてのエピソード、すべての場所にもう一度光が当てられて、これを読むと今までの物語が走馬灯のようによみがえり、かつこの結末を読んだ上でもう一度すべてを読み返したくなる内容になっている。

シリーズものの最終巻はこうあるべきというお手本のような1冊で、うーんさすが伊達にベストセラーじゃないわって感じ。
最後は世界を二分して善と悪の全面抗争になるのもナルニアや指輪物語を彷彿させて、これぞ王道。感服いたしました。

ハリポタが王道なら「最後のユニコーン」(P.S.ビーグル/ハヤカワ文庫)は変化球。
ユニコーンと魔法使い、呪われた王国、運命の王子…とプロットは申しぶんなく王道ですが、一筋縄ではいかないんだな。

これはユニコーンの役を当てられているけれど、本当はあれを象徴しているんじゃないかしら。この魔法使いはあれの暗喩なんじゃないかしら…
という感じで、正統派ファンタジーを語っているようでどうにも二重写しに見えるという、たぶん非常に技巧的な作品です。そして文章がおそろしく華麗

実際、作者はこれを「パロディ」と称しているらしいですが、あーアメリカ人がおとぎ話を語るとこういうふうになるのかなと。

考えてみたらアメリカってお城ないんだよね。
王子さまも王女さまもいないし、妖精が棲む森も古代の遺跡もない。
建物だって一番古くてもせいぜい200年前のもので、誰がどこから来たかとか全部わかってるんだから、そもそも得体の知れない古いものなんて何にもない国なんだよねえ。

だからアメリカ人はファンタジーというとSFに走るんだな。となんだか納得したのでした。

そういえば、以前ニュージーランド人の英語の先生に「NZの伝統工芸ってどんなの?」と聞いたら、えーとマオリの彫刻とか織物とか…と言われたのでネットで調べてみたところ、いわゆる原住民の、思いきりポリネシアンなタペストリーとか精霊信仰的な装飾品とかが出てきてびっくりしたことがあります。

そう言えばそうかって感じなんだけど、先生本人は金髪鼻高でどこからどう見ても白色人種なわけで、この伝統工芸品ってあなた自身のルーツにはまったく関係ないですよね?!とすごく不思議な気持ちになりました。
自分自身のルーツとは明らかに別物な母国の伝統を持つっていったいどういう感じなのかしら。

話がそれました。
「獣の奏者」(上橋菜穂子/講談社文庫)は、友人には「十二国記」みたいな印象と言われましたが、あれよりは全然地味です(笑)

ファンタジーとしては破綻もなく、児童書の説教くささもなくて十分読ませるけど、いかんせん文章がものすごく拙いのは何なんだ(爆)
読んでて「このひと何者?!」と何度も著者略歴を確認しちゃったよ。

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2010年1月12日 (火)

世界名作全集

たしか私が小学校の1年生とか2年生のころ、母が子供たちのために世界名作全集を買ってくれました。

箱ケースに入った箔押し革表紙ふうの立派な装丁に、きれいなカラーの挿絵がたくさんついている大型本で、毎月配本されるシステムでした。

私はその全集が大好きで、本が届くと一番最初に開いたし、何度も何度も繰り返し読みました。
ちゃんともともとの文学作品を編集して子供向けに書き直しているもので(たぶん)、物語としてもしっかりしていたんだと思う。写実的な油絵ふうの挿絵も魅力的で、そこに描かれた外国の街並みや衣装風俗なんかにもすごくひかれました。

この間ふとその全集のことを思い出して、あれって全部で何冊あったんだっけ?と、思い出せる限りタイトルを書き出してみたのね。

そしたら24冊思い出せて、それ以上は何も出てこなかったので、あーじゃ月2冊ずつで12カ月っていうシリーズだったのかも、と勝手に合点してたんですが、先日実家に行ったときに、ついでにちょっと書庫に入って探してみました。

もう全部はなかったけど数冊はとってあって、それによると全集は全25巻だったのでした。あーあと1冊は「アボット」か~、そういえばそんな話もあったような…

ていうか25冊のうち24冊まで、しかもそれぞれの内容まで鮮明に覚えてる私ってすごくない?!

改めて見ると、ラインナップもいいんですよ~。

忘れもしない初回配本は「ピノッキオの冒険」。私のピノッキオはディズニーのあれではなくこっちの本のピノキオなのです。いろいろリアルでちょっと怖いの。

大人になってからロベルト・ベニーニの映画「ピノッキオ」を観たとき、友だちは「ピノッキオってこんな話だっけ…?」と怪訝な顔だったんだけど(笑)、私は、これはまさにあの本のピノッキオ!あれってものすごく原作に忠実だったんだ!とひそかに大感激していたのでした。

知ってるようで意外とちゃんと知らない「宝島」「家なき子」「王子と乞食」「ロビンソン・クルーソー」「八十日間世界一周」「ガリバー旅行記」「ロビン・フッドの冒険」あたりも私はこれで読みました。

イエス・キリストの物語であると知らずに「ベン・ハー」で不思議な気持ちになり、十字軍を知らずに「獅子王リチャード」に胸を躍らせ、人種差別問題を知らずに「アンクル・トムの小屋」に号泣し、アメリカ開拓の歴史を知らずに「モヒカン族の最後」に憤慨したというのは、子供ならではの貴重な体験といいましょうか。

「クオレ」「若草物語」「少年デビッド」(←「デビッド・コパフィールド」の少年期編)で自分と違う異国の生活様式に思いを馳せ、「三銃士」で華麗で危険な宮廷政治に憧れた。

あと、有名じゃないけどチェコかどこかの少年たちのグループ対立を描いた「パール街の少年たち」と、漁船に拾われた金持ち息子の成長物語「ゆうかんな船長」、ロシアのヒロイック・アドベンチャー「皇帝の密使」は、いま思えばカッコイイ男子がたくさん出てきてよかったわ~。

子供だったので、それがどこの国なのか、どういう背景なのかということを全然知らないで読むわけ。「日曜学校」や「オートミール」がどんなものなのか謎なわけ。登場人物たちが欲しがる「金貨」や「ぶどう酒」が、すごくステキなものに思えるわけ。

当時、想像で補っていたお話の中の外国に対する漠然とした憧れや華やかなイメージが、今も私の中にしっかり根づいているんだと思う。
私の中で、外国やキリスト教は、そのまま子供のときに胸躍らせたあの物語の世界に直結している。

現在の私のヨーロッパ志向の基盤はこの全集でつくられたんじゃないかと本気で思います。
あのとき母が買ってくれたのが世界の名作全集じゃなくて日本の名作全集だったら、今ごろ歴女になってたんだろうか(笑)

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2009年10月17日 (土)

「粗にして野だが卑ではない」

城山三郎 【文春文庫】

このフレーズ、知ってはいたけど誰のセリフか知りませんでした。なんか三国志とかに出てくるのかと思ってた。ら、旧国鉄総裁の石田禮助氏の、国会初答弁時の自己紹介なんだそうです。

かっこいいわ~。「粗にして野だが」と一見へりくだってるようで全然くだってないし。「おれは山猿だから」と言いつつ自負心ゆるがないし。

言いたいことをぼんぼん言って豪腕をふるっても周りから一目おかれるのは、やっぱ卑ではないからなんでしょうね。

この人は戦前~戦後に物産の商社マンとして文字どおり世界をまたにかけて活躍した人で、そういう意味では財界人から初めて国鉄総裁に登用された人でもあります。

この時代はエリートが本物のエリートだから好きだわ。
本当に優秀な人が大学で学んで、政治でも経済でもそういう人たちがリーダーになって、国をよくしよう、世の中をよくしようという理想と使命感に燃えて働く。

混乱期だし、本当の意味での精鋭なのでやることありすぎて私利私欲に走るひまがないって感じで、何よりも、これは時代なんだろうけど、プライドがあるよね。ノーブレス・オブリージというのかしら。高等学問を受けて第一線で働いている者は高潔たるべし、みたいな気概があります。

同じ作者の「総会屋錦城」(新潮文庫)は短編集。
同様に、戦後の混乱期~高度経済成長期のビジネスマンたちの姿を描いていてカッコイイです。まあ表題作はビジネスマンじゃなくて総会屋だけど(笑)

つか総会屋ってなつかしい響きだな。今はどうなってるのかなあ。

ビジネスマンを描く社会小説というと山崎豊子ですが、確かに似た感じはあるけど、あれほど告発的じゃないというか。企業内の問題というよりは社会の問題を描いているので、もっとずっと読みやすいです。つか私が山崎豊子を読むとアドレナリンが過剰分泌されるだけかもしれないけど

とにかく、ブルーカラーでもホワイトカラーでも、まじめに働くオトコはかっこいいです。草食系男子とか言ってないで、みんなもっとガツガツ仕事するべきだよ!って私が言うな!

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2009年9月12日 (土)

「日の名残り」

カズオ・イシグロ/土屋政雄(訳) 【中公文庫】

これは何という萌え執事…(爆)
仕事一途の堅物で、主人のアメリカンジョークへの対応に頭を悩ませるって。
キレ者のジーヴスもいいけど、素朴なミスター・スティーブンスもいいわ~(*´∀`)

ということで、執事萌えの方には自信を持っておすすめします

萌えは置いといても、これは非常に端正で上品な小説でございます。
ちょっと前に流行ってましたが、「品格」とはなんぞやということを見事に表していて、そういった概念というものは新書じゃなくてこういう小説からおのおの感じとってほしいよなあと思います。

そして、ここでは執事という職業においてのみ語られているものの、それはすべての働く人たち(特に勤め人ね)に共通する概念だということがわかります。
ということはつまり、すべての人間に問われ、求められるものだということ。
つまり、人間は品格を持って生きねばならないということです。

では品格とは何か。

作品の中では答えらしきものが導き出されていますが、いいなあと思ったのは、語り手であるミスター・スティーブンスが素朴な人であるために、彼の定義の仕方もなかなかに素朴なものであるところ。

彼は彼の仕事を通して見える世界しか知らず、ある意味とても近視眼的なんだけど、それでも本質はつかめている。

それほどの教育も見聞もない一介の労働者でも、真摯に物事を考え、常に何かを見出そうと努めていれば、たとえ一片に過ぎなくても真理にたどりつくことができる。

むしろそういう生き方に品格はおのずと表れてくるのだと思います。

そういう哲学的な思索にたゆたう一方で、読み物としても、名家に仕えた主人公を通しての「執事のお仕事」的な興味も満たされます。
なるほど執事って(というか使用人って)まさに屋敷しもべ妖精なのね~。

本物の執事は英国にしかいないということですが、いやこの感じは日本の武家社会にもあるぞ。あれでしょご家老的な人。ちょっと役割が違うけど。

そう考えると、日本で「執事」の人気が高いのは、人前で感情をあらわにしないことが美しい、という英国と共通の美学を持っているからなんだなと納得。

しかしミスター・スティーブンスは、いまどきなら「高機能自閉症」って言われますね絶対(笑)

でもそういう人たちに合ってる職業な気がするし、きっと実際にもいて「あれはいい執事」とか言われてうまくやっていけてたんだろうなと思います。
そういえばモンクさん(は強迫性障害だが)も執事は天職だって言ってたよね(笑)

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2009年8月16日 (日)

「死者に祈りを」

フェイ・ケラーマン/高橋恭美子(訳) 【創元推理文庫】

※ネタバレ注意!!

リナとデッカー刑事のシリーズもの。
前作は「なんじゃこのハーレクインロマンスは」と心のちゃぶ台を引っくり返したわたくしですが、これを読んでちょっと納得。こっちが本命だったのね。
前作は頭の中にあるもので書きましたって感じだったけど、今作はちゃんといろいろ調べて書いてる感じ。

この人は家族を描くのがうまいですね。家族というか、家族という枠の中の群像劇というのかしら。
そういえばシリーズ5作目の「堕ちた預言者」でも、傲慢な女家長とその子供たちの歪んだ親子関係が印象的だったのを思い出しました。

今作の、厳格なプロテスタントで高名な医師である父親と、その妻子の愛憎渦巻く家族の肖像は、T・ウィリアムズの戯曲のよう。

事件としての柱は、新薬研究にまつわる製薬業界のドロドロと、現代アメリカのキリスト教宗派についてで、いろいろ興味深いです。

宗教の話はねー。こればっかりは、無宗教の日本人にはどうしてもピンと来ないところよねー。

そのせいか、いろんな背景やら愛憎劇やらはおもしろかったんだけど、肝心の殺人の動機が「ゲイだったから」というのは拍子抜けというか、どうにも弱く感じました。

あっちの人の同性愛に対する困惑や嫌悪の感情というのは、ちょっと計り知れないものがあります。
私個人としては別にかまわないというか、他人の性的嗜好なんてどうでもいいことなんですけど。「わたしイケメン好きなの」「オレはぽっちゃり好きかな」「あたしは同性好き」みたいな感じで。あっそう的な。

まあ問題はそういうことじゃなくて、宗教で禁じられているっていうところが決定的に違うんですけれども。で、そう言われると、もう返す言葉もない感じ。
日本人にとっての入れ墨みたいなもんなのかなあ。いくら外国の人にファッションだと言われても、どうも心情的に受け入れ難いってところが。ちょっと違うか。

あとはねー、作者のブームなのか、ここんとことっても繊細ないい人がつらい目に遭うパターンが続いてますよね。そのほうがドラマチックなのはわかるけど、かわいそうです(;_;)

そしてリナちゃんはいつの間にそんなにすごい美人な設定になっていたのかと(爆)
確かにきれいだきれいだとは言ってたけど、それはあくまでも夫目線だからだと思ってたよ。

しかも彼女のツルの一声で事件が解決しちゃったりして、ちょっと出来杉くんでは…? まぁ私はリナちゃん好きだから許すけどね!

ああ、そういう意味ではここんとこのメロドラマ仕立ても作者のブームでしょうか。だったら早く去れ(祈)

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